私のビジネス50年史。

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独立、そして再び海外へ(1)

ビル群 その後私は自分自身で会社を興し、自分の思うとおりに仕事をしたいと考えるようになりました。そして昭和52年、私は「本城商店」を開業しました。

 自ら独立開業したのですから、とにかく活動しないと始まりません。私は開業当初、合成樹脂原料の国内販売を主にしておりましたが、後に海外取引を始め、今では海外取引が弊社の主業務となっています。では、なぜ国内販売から海外取引へと業務を移行していったのか。それをお話ししましょう。

 通常、粉砕品の再生原料は現金取引が原則ですが、付加価値を上げる為にペレット化したものを販売する場合は手形取引となることが多く、そうなると銀行取引の手形割引枠の関係で必ず保証人が必要となります。私は生来の性格から、保証人を引き受けるのもイヤ、又保証人を頼むのもイヤ、ということで対応に苦慮しました。

コンテナ船 そこで、「仕入れは現金」「売り掛けもほぼ現金取引に近い形である信用状取引」の海外輸出に切り替えるよう努力したのです。とはいえ、海外に決まった販売先があるわけでもなく、英語もブロークンイングリッシュ、また貿易実務も全くの素人でしたので、ここまでやってこられたのは多くの方々にお世話になったからだと思います。商売が軌道にのるまでは大変でしたが、一番大切なことは顧客に信用されること、に尽きると思います。

 最初は、何のコネクションも持たないまま、香港行きの飛行機に飛び乗りました。香港に到着してもどこへいく当てもなかった私は、飛行機に同乗していた商社マンに声をかけました。当時は海外出張する人もまだ少なかったこともあり、ビジネスマン同士、ある種の連帯感がありました。彼の滞在先の電話番号を聞いておき、到着後そのホテルに出向きました。勿論すぐに自分の仕事につながったわけではありませんが、色々な会社を紹介してもらえたことで海外ビジネスのやり方が段々分かってきました。

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